最古の剣術流派の一つ「天真正伝香取神道流」01

四人の達人と、四つの剣術流派の誕生

常陸国と下総国の神官たちによって受け継がれてきた「東国七流」。中世日本の首都・京都で広く学ばれた「京八流」の剣術。武士が力を持ち始めた時代以降、これらの剣術はより多くの人が学ぶようになり、発展していった。

しかし当時の武士は、刀の使い方よりも、馬術と弓術に重きを置いていた。剣術は特殊な人が学ぶ特別な技術で、全ての武士が学ぶような技術ではなかった。まだ日本刀は、数多くある武器の一つに過ぎなかった。

そして時は過ぎ去り14世期の後半、偶然にも同じ時代に、四人の剣の天才が日本に現れた。日本で最初の剣の達人である彼らの名は「飯篠 家直」、「念阿弥 慈恩」、「中条 長秀」、「愛洲久忠」だ。

天真正伝香取神道流

「飯笹家直」は、1387年に「下総国」(現在の千葉県)の武士の家に生まれた。 彼の生まれた地の近くには「関東七流」を伝える香取神宮があった。彼は幼い頃から武道を好み、香取神社に伝わる剣術をよく修行していた。

成人後は父と同じように、故郷の豪族「千葉家」に武士として仕え、多くの戦いで侍大将として活躍した。 しかし、日本はすぐに戦国時代に突入。 千葉家は関東管領上杉家の陣営であったが、敵軍との戦いに敗れて滅亡した。 千葉家存亡の戦いの後、生き延びた家直は京都の将軍軍に召されたが、長く続く戦いの日々に虚しさを感じていた。

Tako Town, Chiba Prefecture, where Ienao Iizasa was born.

やがて「飯笹家直」は将軍家に暇を乞うと、郷里下総の国に帰り、香取神社で剣の修業を再開した。広大な香取神社の奥深くに居を構え、日々神々に祈り、境内の梅の木を相手に剣術を練る日々を過ごした。その修行の日々は 1000日を超えた。やがて家直は剣の真髄を悟る。

From “History of Katori Shrine"

実際には彼はすぐ隣の国にある鹿島神宮にも通い、多くの先達と交わって稽古をしていたようだ。そしてそこで「鹿島の太刀」の数々の技術を我がものとしていった。そして長く激しい修行の末、彼は歴史上で非常に重要な剣術の流派を作り出した。それが日本最古の剣術流派の一つ「天真正伝香取神道流」である。