剣術流派の誕生

中世のどこかの時点で、日本に二つの剣術流派が誕生しました。
「東国七流」と「京八流」です。

東国七流と鹿島の太刀

茨城県の鹿島神宮と千葉県の香取神宮は、古くから武道の神として武術修行者に信仰されてきました。

今から約1600年前、「鹿島神宮」の神官「国鐵真人(くになづのまひと)」は神からのお告げを受け、新たな剣術を生み出しましたた。 その剣術を「鹿島の太刀」といいます。

Kashima Shrine in Ibaraki Prefecture.

「鹿島の太刀」は代々「鹿島神宮」「香取神宮」の神職に受け継がれ発展していきます。 やがて「鹿島の太刀」は、7人の神官に伝わる剣術として「東国七流」と呼ばれるようになりました。

神のお告げを受けて誕生したという「鹿島の太刀」は伝説ですが、関東地方には10世紀以前から武器を使った戦闘を得意とする武士集団が多くいたのは事実のようです。そして 15世紀の戦国時代、この「鹿島の太刀」を基に非常に重要な剣術流派が誕生することになります。

余談ですが、現代の武道場で稽古の始めと終わりに正面に一礼をするのは、昔の日本の武道場の前に「鹿島神宮」と「香取神宮」の神様が祀られていたからです。 .そして稽古の始めと終わりには神様に感謝を捧げました。今でも多くの日本の武道道場では、この習慣が続いています。

京八流

京都はかつて日本の首都で、天皇の住まう都であり権力の中心でした。 そのため、この街には多くの武士が集まっていました。その 京都で生まれた原初の剣術流派が「京八流」です。

「京八流」の誕生物語も数々の伝説で彩られています。 12世紀、京都に「鬼一法眼」という名の陰陽師が現れました。 この男は、戦術、戦略、および戦闘に優れていました。 彼は京都の鞍馬寺の僧侶に、自らの技術と知恵を授けました。 その鞍馬寺の8人の僧侶が、当時伝承されていた刀の使い方をもとに「京八流」を創り上げたと伝わっています。

12 世紀の有名な武士であり英雄である「源義経」は、子供の頃に鞍馬寺で修行をしました。 そして鬼一法眼から「京八流」の剣術も学んだ、あるいは盗み取ったという伝説があります。

Scene in which Minamoto no Yoshitsune in his childhood fights against a bandit boss. From “Yoshitoshi Mushaburui” by Tsukioka Yoshitoshi.

「京八流」そのものはもう残っていませんが、「鹿島の太刀」と同じく、「京八流」も現代に続く剣術流派のベースとなっています。

「京八流」流派の一つに「吉岡流」があります。 この流派の達人「吉岡清十郎」は、宮本武蔵と死闘を繰り広げました。